じっくり読む紅楼夢 第三十六回、第八回、第十七回、第十八回、第四回、
紅楼夢はじっくり読めばわかる、というかじっくり読まないとわからない。
紅楼夢をそこそこ理解して読み続けるのは大変だ。四苦八苦、苦労だけして読み進むのでは楽しみがない。<楽しみがあるように>読むには話の内容をそこそこ理解しながらじっくり読む必要がある。さいわい特に進展していくような<筋>はないので、読み進むのではなく、ある個所を切り取って読んでもこれは可能だ。じっくり、あるいは楽しみながら読むことが可能なのは、どの箇所も<意味がある>からだ。いいかげん, 杜撰(ずさん)に書かれた箇所はないと言っていい。本場の中国で<紅学>が発展しているのはこのためと言える。奥が深く、いろいろな読み方、理解の仕方があるのだ。
ここでは第三十六回をとり上げてじっくり読むことにする。なぜ第三十六回をとり上げたかと言うと、それまでの第三十五回までと何か<トーン>が違うからだ。もっとも、冒頭を含めよくわからない箇所があってだが、何度も読み返してみる必要があったので、これが<トーン>の違いになっているのかもしれない。
原文は<中國哲學書電子化計劃>(繁体字)の他、簡体字からコピー / ペイスト。表題《繡鴛鴦夢兆絳芸軒 識分定情悟梨香院》
表題の意味は、たいてい話の内容のサマリーみたいなもので、話の内容がわかってみないとわからない。したがってここでは表題の意味にはすぐには触れない。もっとも絳芸軒と梨香院は第三十六回に出て来る場所、建物なのだが、それまでの話の中ですでに紹介済みなので、第三十六回の中での改めての紹介、解説はない。話を先取りすることになるが
絳芸軒というのは
<絳 jiàng>の字はなじみがないが<紅、赤>という意味。ある意味では<絳芸軒=紅楼>と言える。<絳芸軒>が最初に出て来るのは第八回というのだが、贾宝玉のすみかの名前としては出てくるのが遅い。不可解ともいえる。作者が贾宝玉のすみかに名がないのはおかしいと思って、遅ればせながら付け足したのではないか?
<絳芸軒>のWikiの解説では賈寶玉搬進大觀園之前在賈府居住的房子。初見於第八回,寶玉將自己的住所命名為「絳芸軒」,早起讓晴雯研墨,自書「絳芸軒」三字,囑咐晴雯貼於門斗。寶玉摔茶杯,要攆走李嬤嬤,就發生在這裏。
となっている。
賈寶玉搬進大觀園之前在賈府居住的房子。 初見於第八回、寶玉將自己的住所命名為「絳芸軒」
は
贾宝玉が大観園(造成)の前に住んでいた賈府にある住居。(大金持ちの住居なので房子(部屋)ではなく独立した建物。)初めに「絳芸軒」の名が出て来るのは第八回。「絳芸軒」は贾宝玉が自分で名付けたということ。
<絳芸軒>が最初に出て来るのは第八回というのだが、上に書いたように贾宝玉のすみかの名前としては出てくるのが遅い。そのあとの解説
早起讓晴雯研墨,自書「絳芸軒」三字,囑咐晴雯貼於門斗。寶玉摔茶杯,要攆走李嬤嬤,就發生在這裏。
はわかりずらい。
早起: これは文字通り<早起きする>。
晴雯:宝玉の大丫头のひとり。後から出てくる解説に
贾宝玉身边四大丫头,晴雯、袭人、 茜雪、麝月为“风花雪月”。,晴雯、袭人、 茜雪、麝月为“风花雪月”。
晴雯=风(風)
袭人=花
は説明が必要なのだが、<花>は袭人の姓。 风(風)すなわち wind のように単純ではない。
研墨:文字通り<墨を研(す)る>。
<讓>は<ゆずる>ではなく、使役の動詞。<讓晴雯研墨>で<晴雯に墨を研(す)らせる>
囑咐 zhǔ fù、<吩咐>という語も同じような意味だが、よく出てくる:to ask or order someone to do something
囑咐晴雯貼於門斗
はしたがって <晴雯に「絳芸軒」と書いた紙を門斗に貼らさせた>となる。
<門斗>は建築用語といえるが、建物の入り口に「絳芸軒」のような文字を書いたもの<匾=供題字用的長方形木板或石板,通常高懸在門上、牆上>を貼り付けるところ。左右も<門斗>というようだが、建物の名前の場合はたいてい上部だ。最後の
寶玉摔茶杯,要攆走李嬤嬤,就發生在這裏。
はこういうことが「絳芸軒」で起こった、ということ。<寶玉摔茶杯,要攆走李嬤嬤>は小事件で
摔 shuāi 落としてこわす、割る。
攆走 niǎn zǒu 驅逐する、追い出す
李嬤嬤 (mó mo) は李奶奶 (nǎi nɑi) とも言い、贾宝玉の乳母(<乳母>は音読みでは<にゅうぼ>だが日本語では聞いたことがない。大和言葉では、めのと、うば、があるが、今はほとんど聞いたり、使ったりすることなない)。中国では奶はミルクにことで、母乳も奶。牛乳は牛奶だが、普通は<鮮奶>と言っている。奶母が中国語らしいが、他に乳母、乳娘、奶娘、奶媽、奶母、奶婆などがある(Wiki)。ところで<奶奶>は乳母とは関係なく、祖母または年配の婦人。一方嬷嬷 (mó mo) も老婦、母親、乳母等の意。
<寶玉摔茶杯,要攆走李嬤嬤>は小事件で、後から挿話のようにこの小事件の話がでてくるのだが
<寶玉摔茶杯,要攆走李嬤嬤>は、
贾宝玉が茶碗を落として割り、李嬷嬷を追い出した
ではなく、贾宝玉と李嬷嬷は仲が悪く、李嬷嬷の行動に腹を立てて
贾宝玉が茶碗を床に投げつけて割り、李嬷嬷を祖母や母にいいつけて追い出そうとした。このときは実際には追い出していない。さらに、のちに追い出されたのは李嬷嬷ではなく、李嬷嬷に楓露茶を飲ませた賈寶玉の丫鬟茜雪。<枫露茶牵扯出来的茜雪被撵事>としてネット上では詳しい解説(紅学)がある。
という話なのだ。さて<絳芸軒>にもどると、
早有賈母那邊的人來問:「是怎麼了?」
で、上の騒ぎを聞きつけた祖母が人を絳芸軒に遣って様子をさぐらせているので、 祖母が住む屋敷の近くのようだ。
賈母:贾宝玉の祖母、<老太太>とも言う。
第八回の原文 <中國哲學書電子化計劃>では
寶玉踉蹌著回頭道:「他比老太太還受用呢!問他作什麼?沒有他,只怕我還多活兩日兒!」一面說,一面來至自己臥室,只見筆墨在案。晴雯先接出來,笑道:「好啊,叫我研了墨,早起高興,只寫了三個字,扔下筆就走了,哄我等了這一天。快來給我寫完了這些墨纔算呢!」寶玉方想起早起的事來,因笑道:「我寫的那三個字在那裡呢?」晴雯笑道:「這個人可醉了。你頭裡過那府裡去,囑咐我貼在門斗兒上的。我恐怕別人貼壞了,親自爬高上梯,貼了半天,這會子還凍的手僵著呢!」寶玉笑道:「我忘了你手冷,我替你握著。」便伸手拉著晴雯的手,同看門斗上新寫的三個字。
一時,黛玉來了。寶玉笑道:「好妹妹,你別撒謊,你看這三個字,那一個好?」黛玉仰頭看見是「絳芸軒」三字,笑道:「個個都好。怎麼寫的這樣好了!明兒也替我寫個匾。」寶玉笑道:「你又哄我了。」說著,又問:「襲人姐姐呢?」晴雯向裡間炕上努嘴兒。寶玉看時,見襲人和衣睡著。寶玉笑道:「好啊,這麼早就睡了。」又問晴雯道:「今兒我那邊吃早飯,有一碟子豆腐皮兒的包子,我想著你愛吃,和珍大奶奶要了,只說我晚上吃,叫人送來的,你可見了沒有?」晴雯道:「快別提了。一送來,我就知道是我的,偏纔吃了飯,就擱在那裡。後來李奶奶來了,看見說:『寶玉未必吃了,拿去給我孫子吃罷。』就叫人送了家去了。」正說著,茜雪捧上茶來。寶玉還讓:「林妹妹喝茶。」眾人笑道:「林姑娘早走了,還讓呢。」
寶玉踉蹌著回頭道:「他比老太太還受用呢!問他作什麼?沒有他,只怕我還多活兩日兒!」一面說,一面來至自己臥室,只見筆墨在案。
踉蹌:酔って足元がふらついていること。
Wiki に出てこないが、前段があって贾宝玉は当時 (大観園(造成)の前) は薛寶釵一家が済んでいた<梨香院>で食事をとり酒も少し飲んだ帰りなのだ。
「他比老太太還受用呢!問他作什麼?沒有他,只怕我還多活兩日兒!」
は前段や背景がないとわかりずらい贾宝玉の発話だ。
前段は
他二人道了擾,一徑回至賈母房中。賈母尚未用晚飯,知是薛姨媽處來,更加喜歡。因見寶玉吃了酒,遂叫他自回房中歇著,不許再出來了。又令人好生招呼著。忽想起跟寶玉的人來,遂問眾人:「李奶子怎麼不見?」眾人不敢直說他家去了,只說:「纔進來了,想是有事,又出去了。」
道擾:<おじゃましました、と言う>というような意味。
纔=才、剛才、剛剛
「他比老太太還受用呢!問他作什麼?沒有他,只怕我還多活兩日兒!」
がわかりずらいのは、ここは反語的に読まないといけないと、いけないからだ。
頭の<他>は李嬷嬷、李奶子 (うば) のこと。
他比老太太還受用呢!
老太太(祖母) に比べてまだ、もっと<受用>だ!
とはどういう意味か?
受用:shòu yòng
1.[benefit from]∶ 接受財物作為官府開支; 受益受用不盡。2.[feel comfortable]∶ 舒適今天身體有點不受用。
3.[enjoy]∶ 享受共同受用。からして
老太太(祖母) に比べてまだ、もっと<有益>だろうか?
問他作什麼? 彼女に何かをしてくれるか頼んででごらん。
沒有他 彼女にはなにもない。
只怕我還多活兩日兒!
只怕 zhǐ pà : 只是担心、牵挂。犹恐怕。疑虑或估计。
多活 :要灵活 生き生きする。
(いなければ)二日ほどいきいきするだろう。
哄我等了這一天
下に
「你又哄我了。」というのがある。
<哄>はいろいろな意味があって難しい。ピンインも違う。
基本字義
● 哄
hōng
◎ 好多人同時發聲:~傳(chuán )。~動。
hòng
◎ 吵鬧,攪擾:起~(故意吵鬧擾亂,亦指開玩笑)。~場(指觀衆喝倒彩)。~搶。一~而起。
吵鬧 chǎo nào · 譁鬧、嘈吵 · 不安靜、不寂靜、不寧靜 · 爭吵,發生口角
さわぐ、さわがす、からかう
發生口角 [ kǒu jué ] 爭吵:不要為了一點小事兒就和人家~起來。
これまた死語だが<口角泡をとばす> という言い方がある。
開玩笑:笑わす
hǒng
- 說假話騙人:~人。~弄。~騙。ー (うそを言って)だます、たぶらかす
- 用語言或行動逗人喜歡:~逗。~勸。~小孩兒。ー なだめる、なだめすかす、よろこばす
逗人 dou ren,漢語詞語,是指使人感覺有趣,戲耍、逗弄別人,引起人的興趣的意思。引人發笑或使人在愉快的狀態中得到消遣
以上からすると
「你又哄我了。」は場面からして<またからかった>でいいが
< 哄我等了這一天>はよくわからない。強いて当てはめれば
hǒng
- 說假話騙人:~人。~弄。~騙。ー (うそを言って)だます、たぶらかす
で、苦情を言っているようだ。
可醉了: 酔っているようだ
囑咐 zhǔ fù: 吩咐と同じくよく出て来る。to ask or order someone to do something
撒謊 sā huǎng : これもよく出て来る。
指人故意將自己認為是真實的事情説成不真實的給受騙者聽,讓“不存在的事”的令聽眾相信是“存在的事”;又或者真實存在的事,故意説成其是不存在的。撒謊是有目的性的説假話來為自己謀取利益。
to say or write something that is not true in order to deceive someone
努嘴兒:翹起嘴唇(唇を上に向ける),向人示意。
一時,黛玉來了。寶玉笑道:「好妹妹,你別撒謊,你看這三個字,那一個好?」黛玉仰頭看見是「絳芸軒」三字,笑道:「個個都好。怎麼寫的這樣好了!明兒也替我寫個匾。」寶玉笑道:「你又哄我了。」
ここで「絳芸軒」がでてくるが、特に「絳芸軒」の説明はない。
<参考>
sohu <贾宝玉的房间,为什么叫“绛芸轩”? ...... >の解説。(一種の紅学)
潇湘馆、怡红院、蘅芜苑都是后来大观园的名字,都与居住人有密切关系。但贾宝玉最初的房间名叫绛芸轩,却是不同于怡红院。这个名字之所以重要,与宝黛爱情大有关系。
大观园は第十七回《大觀園試才題對額 榮國府歸省慶元宵》と第十八回《皇恩重元妃省父母 天倫樂寶玉呈才藻》に出てくる話。紅楼夢の中のクライマックスの一つで建物も含む大造園の話と皇帝妃(正妃ではない)となった寶玉の姉元春の帰郷の話。<天倫樂>は<家族団らん>のような意味。元春の里帰りなのだ。その後大观园の中の建物のうち
潇湘馆は黛玉の住居
怡红院は寶玉の住居
蘅芜苑は寶釵の住居
に振り当てられた。建物の名前はもちろん由来がある。绛芸轩は寶玉が怡红院に移り住む前の住居。
<贾宝玉的房间,为什么叫“绛芸轩”? ...... >からの引用
では
他二人道了擾,一逕回至賈母房中。賈母尚末用晚飯,知是薛姨媽處來,更加喜歡。因見寶玉吃了酒,遂叫他自回房中歇著,不許再出來了,又令人好生招呼著。忽想起跟寶玉的人來,遂問眾人:「李奶子怎麼不見?」眾人不敢直說他家去了,只說:「才進來了,想是有事,又出去了。」寶玉踉蹌著回頭道:「他比老太太還受用呢,問他做什麼!沒有他只怕我還多活兩日兒。」一面說,一面來至自己臥室。只見筆墨在案。晴雯先接出來,笑道:「好啊,叫我研了墨,早起高興,只寫了三個字,扔下筆就走了,哄我等了這一天。快來給我寫完了這些墨才算呢!」寶玉方想起早起的事來,因笑道:「我寫的那三個字在哪裏呢?」晴雯笑道:「這個人可醉了。你頭裏過那府裏去,囑咐我貼在門斗兒上的。我恐怕別人貼壞了,親自爬高上梯,貼了半天,這會子還凍的手僵著呢。」寶玉笑道:「我忘了,你手冷,我替你握著。」便伸手拉著睛雯的手,同看門斗上新寫的三個字。
一時黛玉來了,寶玉笑道:「好妹妹,你別撒謊,你看這三個字哪一個好?」黛玉仰頭看見是﹝絳芸軒﹞三字,笑道:「個個都好,怎麼寫的這樣好了!明兒也替我寫個匾。」寶玉笑道:「你又哄我了。」
绛芸轩,又叫绛云轩。具体是“芸”还是“云”并无定论。周汝昌先生认为绛云轩是绛芸轩之“隐笔”,是说贾宝玉与史湘云日后一段故事。本人并不认同。
所谓绛芸(云)轩,其实说得还是宝黛,借由晴雯之手彰显。而周先生又说与贾芸 小红有关,则赞同。
周汝昌は紅学大家。
宝黛は宝玉と黛玉のこと。晴雯之手:後述
彰显 zhāng xiǎn: 明らかに示す
贾芸 小红: これも後述。
赞同 zàn tóng : 讚許、認同。日本語では賛同。to approve、approval。
绛芸轩的“绛”同“红”字,与日后“怡红院”前后呼应。而绛者, 绛珠仙草,绛洞花王,正是宝黛之意。
“芸”同“云”字,云者,晴雯也。晴雯的名字就是好看的云纹。而有云纹则是“风”起的象征。所以贾宝玉身边四大丫头,晴雯、袭人、茜雪、麝月为“风花雪月”。茜雪正是当日随贾宝玉梦游太虚幻境的四个丫头之一的媚人改名。
晴雯的名字就是好看的云纹:雯の字が<云 (雲) 纹>に似ているというのだ。上で書いたが袭人が<花>というのは袭人の姓が<花>だから。
日本では、と言っても中国由来だが<花鳥風月>が一般だ。<花鳥風月>と<風花雪月>はどこが違う、と言えば
風花雪月:もとは四時美好的景色。後に「風花雪月」比喻男女間歡愛之事。亦用於比喻浮華空泛的言情詩文。
花鳥風月: 日本的四字成語,形容美麗的風景。で元の意が残っている。つまりは日本語。
で、大きな違いがある。 紅楼夢も<「風花雪月」比喻男女間歡愛之事>に沿っていて、<形容美麗的風景>は関係ない。
晴为黛影,则“云”还是指林黛玉。贾宝玉有《春夜即事》诗隐喻林黛玉,其中“霞绡云幄任铺陈”也是借云霞说黛玉。贾宝玉房中丫头,绮霰、檀云、晴雯都与云有关,不是偶然。甚至他的外书房都叫“绮霰斋”。
晴为黛影:晴雯は黛玉に似ている(黛玉の影法師)ということになっている。
したがって、绛=宝玉、芸=黛玉なので、上記のように<正是宝黛之意>になる。紅学のこじつけのようだが、紅楼夢あるいは曹雪芹の奥の深さとも言えるのか。
后文宝玉题词怡红院匾额“红香绿玉”,认为两全其妙,就是代指他心中与 林黛玉才是绝配,称心如意。
これは大观园(第十七回)の中一場面の解説。<两全其妙>と<绝配>の意味がよくわからない。
<两全其妙>は難しい。もっとも<两全其妙>が出てくる場面は難しい。
第十七回《大觀園試才題對額 榮國府歸省慶元宵》の中で
始めの方に
這日賈珍等來回賈政:「園內工程俱已告竣。大老爺已瞧過了,只等老爺瞧了,或有不妥之處,再行改造,好題匾額對聯。」賈政聽了,沉思一會,說道:「這匾對倒是一件難事。論理,該請貴妃賜題纔是,然貴妃若不親觀其景,亦難懸擬。若直待貴妃遊幸時再行請題,若大景致,若干亭榭,無字標題,任是花柳山水,也斷不能生色。」眾清客在旁笑答道:「老世翁所見極是。如今我們有個主意:各處匾對,斷不可少,亦斷不可定。如今且按其景致,或兩字、三字、四字、虛合其意擬了來,暫且做出燈匾對聯懸了,待貴妃遊幸時,再請定名,豈不兩全?」賈政聽了道:「所見不差。我們今日且看看去,只管題了,若妥便用;若不妥,將雨村請來,令他再擬。」眾人笑道:「老爺今日一擬定佳,何必又待雨村?」賈政笑道:「你們不知。我自幼於花鳥山水題詠上就平平的;如今上了年紀,且案牘勞煩,於這怡情悅性的文章更生疏了,便擬出來也不免迂腐,反使花柳園亭因而減色,轉沒意思。」眾清客道:「這也無妨。我們大家看了公擬,各舉所長,優則存之,劣則刪之,未為不可。」賈政道:「此論極是。且喜今日天氣和暖,大家去逛逛。」說著,起身引眾人前往。賈珍先去園中知會。
というのがある。 ここに、難しい箇所だが
「老世翁所見極是。如今我們有個主意:各處匾對,斷不可少,亦斷不可定。如今且按其景致,或兩字、三字、四字、虛合其意擬了來,暫且做出燈匾對聯懸了,待貴妃遊幸時,再請定名,豈不兩全?」
で<豈不兩全>が出て来る。
ここでは建物と匾對が合わないといけない、という意味か? あるいは匾額と對聯が合わないといけない、という意味か?
匾對 biǎn duì は 匾額和對聯。
匾額: 一塊寫上文字的牌子(通常是木板),懸掛在殿堂、楼阁、门庭、园林大门的正上方,通常是說明建築物的名稱。(Wiki)
さらには少し詳しくは
即是懸於門屏上的牌匾。也就是説,用以表達經義、感情之類的屬於匾,而表達建築物名稱和性質之類的則屬於額。因此合起來可以這樣理解匾額的含義:懸掛於門屏上作裝飾之用,反映建築物名稱和性質,表達人們義理、情感之類的文學藝術形式即為匾額。橫着的叫匾額或牌匾,豎着的叫對聯,或抱柱“瓦聯”。(Baide-baike)
ここに對聯の簡単な紹介がある。
對聯:寫在紙、布上或刻在竹子、木頭、柱子上的對偶語句。對聯對仗工整,平仄協調,是一字一音的漢語獨特的藝術形式。對聯是中國傳統文化瑰寶。(Baide-baike)
對聯は中国に行くとわずらわしいくらいあちこちで見る。
上の文では<燈匾對>と<燈>の字があるが、燈は、昔はランプがなかったので提灯(ちょうちん)だろう。表題に<歸省慶元宵>また引用部に<待貴妃遊幸時>とあるように元春の里帰りは元宵 (節) で匾對も提灯で照らし出しのだろう。
元宵節:中國傳統節日(節),每年的農曆正月十五,為農曆新年的第一個月圓,象徵着春天的到來。華人傳統會吃元宵、賞花燈、猜燈謎,以示祝賀。(Wiki)
と思ったが、よく調べてみると、最終的に元春が決めるので<とりあえず>提灯に書いておく、ということなのだ。これは<虛合>の意味を少し調べてみたがよくわからなかったので、しつこくしらべていたらネット上で次のような解説を見つけた。だが “犯了正名” の解説の付録みたいな説明だ。“犯了正名” も難語として第十七回にでてくる。
《红楼梦》里有座大观园,大观园里有个稻香村,稻香村的主人是李纨,她因此自号“稻香老农”。我们要说的“犯了正名”一事,就与这个稻香村的命名有关。
话说庚辰本《石头记》第十七回至十八回《大观园试才题对额,荣国府归省庆元宵》中,贾政一行来到后来称作“稻香村”的地方,作者有这样一段描写:
贾政说的“犯了正名”,是什么意思呢?
中国艺术研究院红楼梦研究所校注的《红楼梦》出的注释是:“犯了正名——这里或指园中景物题名不应直用前人已有的 ‘杏花村’ 之名,否则即与之相犯,失之浅俗。犯:与应避忌的法则相抵触的意思。”(人民文学出版社2008年7月北京第3版第23次印刷,第224页)
蔡义江评注的《蔡义江新评红楼梦》将“只是犯了正名,村名直待请名方可”标点为:“只是犯了正名村名(按:笔者认为正名”与“村名”应该分开而不应连读,因为没有 “正名村名” 的说法),直待请名方可。”其注释为:“犯了正名——谓不应直接用前人已实有的村名。”(龙门书局2010年7月第1版,上册第182页)意思与红楼梦研究所的注释基本相同,不同的是红楼梦研究所用了“或指”,表示不十分肯定,而蔡注则是肯定的语气。
如果 “犯了正名 ”的意思是“ 不应直接用前人已实有的村名”,用了就是“失之浅俗”;那么,“村名直待请名方可”的意思是不是说,如果村名要用 “杏花村”,必须得到贾妃同意方可,换言之,只要贾妃认可,“杏花村” 这个名字还是可以用的呢?显然,这在逻辑上是有问题的。因为既然不应使用前人已实有的村名,贾妃又岂能同意呢?
据我们目前查找的结果,还没有发现文献中有把 “正名” 用来指前人用过的村名的例子。作为名词的 “正名”,一个常用的意思是指正式的名字(包括人名、地名等),如:“均此一人也,初生则有乳名,稍长则有正名。”(李贽《焚书》卷一《又答京友》)“言印度者,即是天竺之正名。”(释道世《法苑珠林》卷三十八《圣迹部》)
贾政说的 “犯了正名” 的“正名”,我们认为所指的也是正式的名字。他说 “ ‘杏花村’ 固佳,只是犯了正名,村名直待请名方可”,意思是 “杏花村” 这个名字固然很好,但 “杏花村” 这样的名字是一种正式的名称,若这里题作 “杏花村”,那就与正式的村名相犯了,而正式的村名是要等元妃来后请她亲自赐名的。也就是说,园中景点的正式名字(如馆名、院名、村名等)是必须请元妃本人赐名的。
这里说一下 “请名” 的问题。“请名” 是指请求地位高的人(如皇帝、上司、师长等)赐题名字。如:“四月,宁王宸濠造离宫城东北,请名焉,赐名曰‘阳春’。”(何乔远《名山藏》卷二十一《典谟记·世宗肃皇帝》)“陇西李公子有读书之室,请名于其师白颐庵先生,先生题之曰‘一斋’,既为文以记之矣。”(唐之淳《唐愚士诗》卷四《一斋铭有序》)有人将“直待请名”释作“还须请众人另外取名”(《红楼梦全解本》,中央编译出版社2011年版,上卷第196页),显系误读。
我们注意到,在第十七至十八回开头,作者通过贾政与众请客的对话,把为什么贾政要带人去大观园题对额以及如何拟题,作了说明:
大观园中的匾额对联按理应请元妃本人赐题,但是若等她游幸过后再请题,则园中的大好景致,就会因没有匾额对联的文字题记(“无字标题”)与之相辉映,而显得寥落无趣,不能生色。贾政因此而犯难。众清客的建议解决了这一难题。他们提出的办法是暂时先做成灯匾联悬挂起来,等元妃游幸时,再请定名。
不过,清客们说的 “各处匾额对联断不可少,亦断不可定名 ”的“ 定名 ”和“ 待贵妃游幸时,再请定名 ”的“ 定名”,是不是同一个意思呢?似乎从来没人提出这样的问题,但这确实是个问题。
我们先来看一下杨宪益先生的英译本《红楼梦》。杨先生将清客说的这段话译作:
杨先生把“各处匾额对联断不可少,亦断不可定名”,译为“The inscriptions for different
places can’t be dispensed with, but neither can they be fixed in advance.”显然,这里是把 “定名” 理解为把匾额和对联的文字(inscriptions)固定下来。①
但是他把 “暂且做灯匾联悬了” 中的 “匾联”译为“ couplets(对联)and names(名字或名称,这里指匾额)”,又把“待贵妃游幸时,再请定名 ”中的“名”译为“names”。②这两个 “names”应该都是指的匾额。那么,“再请定名” 的 “定名” 就只是指确定匾额的文字而不包括对联的文字,这就与前面 “断不可定名” 的 “定名” 包括匾额和对联都在内的意思不一致了。
不能简单地认为这是杨先生误译。清客们说 “各处匾联对额断不可少,亦断不可定名 ”和“ 暂且做灯匾联悬了”,明明是把匾额和对联合在一起说的,但中间却说 “或两字、三字、四字,虚合其意,拟了出来”。常识告诉我们,用两个字、三个字或四个字 “拟了出来” 的只能是用于匾额上的文字(匾名,亦称额名,不可能是对联。也就是说,清客们的话本身存在含糊矛盾之处。也许正因为如此,杨先生没有把 “或两字、三字、四字,虚合其意,拟了出来” 这几句话逐字逐句地译出,而只是意译为 “briefly prepare some tentative couplets and names”。
清客们之所以说得含糊不清,原因可能是:虽然大观园中的匾额对联的文字都需要等元妃亲自决定,但清客们说的 “亦断不可定名” 和 “再请定名”的“定名”,在他们心目中实际上主要指的是匾名。我们做这样的解读,是有一定的根据的。这个根据就是 “虚合其意” 四个字。
这 “虚合其意” 四个字,使我们联想起本文开头所引贾政和清客来到稻香村(当时尚无此名)时关于题名的一段对话。清客们听了贾政说的 “ ‘稻香村’ 固佳,只是犯了正名,村名直待请名方可”,便说道:“是呀。如今虚的,便是什么字样好?”所谓 “虚的” 字样,就是按 “虚合其意” 的原则拟出来的文字。“当宝玉说 “莫若 ‘杏帘在望’ 四字”时,众人都道:“好个 ‘在望’!又暗合 ‘杏花村’ 意。”所谓 “暗合”,也就是 “虚合”。小说后来又写贾政等来到另一处景点,贾政道:“诸公题以何名?”众人道:“再不必拟了,恰恰乎是 ‘武陵源’ 三个字。”贾政笑道:“又落实了,而且陈旧。”于是清客改题 “秦人旧舍”,而宝玉则题作 “蓼汀花溆”。贾政所谓 “又落实了”,并不是指 “武林源” 也是前人已有的名称,所以不能用;而是说 “武陵源” 和 “杏花村” 一样,是一种正式的名称,同样不符合 “虚合其意” 的原则(至于说 “而且陈旧”,意思是何况它即使作为正式名称,也不合适)。简言之,匾名若题成正式的名称,那就是 “实”,也就是 “犯了正名”。反之,如 “有凤来仪”、 “杏帘在望”、“蓼汀花溆”、“蘅芷清芬”、“红香绿玉” 等属于一般颂扬或形容性的文字便是“虚的” 匾名。
后来元妃归省时,贾政启道:“园中所有亭台轩馆,皆系宝玉所题,如果有一二稍可寓目者,请别赐名为幸。”这意思是说,园中所有亭台轩馆的匾额对联,都是宝玉所题,如果其中有可以采用的话,那就请另外对这些亭台轩馆赐题正式的名称。元妃游幸后便给各处景点赐名,书中这样写道:
这段文字说得非常清楚,不但正殿的匾额和 “大观园” 之名由元妃亲题(前面曾写元妃问:“此殿何无匾额?”随侍太监跪启曰:“此系正殿,外臣未敢擅拟。”),所有正式名称如“潇湘馆”、“怡红院”、“蘅芜苑” 等均由元妃亲自赐名。最值得注意的是 “稻香村” 的命名。贾宝玉曾说过:“村名若用 ‘杏花’ 二字,则俗陋不堪了。又有古人诗云:‘柴门临水稻花香’,何不就用‘稻香村’的妙?”粗心的读者可能会误以为元妃题名 “稻香村” 是采用了宝玉的意见。其实,元妃起初是根据宝玉的对联“新涨绿添浣葛处,好云香护采芹人”,赐名“浣葛山庄”,后见黛玉代宝玉所作的五言律诗《杏帘在望》中有 “十里稻花香” 一句,遂将 “浣葛山庄” 改为 “稻香村”。因为 “稻香村”和 “杏花村” 一样,是 “正名”(正式的名称),属于应该“请名”而不能“擅拟”之列,所以宝玉也只是说说而已,说完被贾政 “一声断喝” 后,便无下文,也就是说,此事元妃根本无从知道。书中的上述种种描写,都说明 “只是犯了正名,村名直待请名方可” 的意思,就是匾名不能题成景点的正式名字,正式的名字须待请元妃赐名。至于曹雪芹将“稻香村”题名一事写得如此曲折有致,可谓匠心独运,深可玩味,兹不赘论。
(中略)从上述“正名”、“真个村名” 和 “正村名” 三种异文来看,很明显,小说原文应是 “正名”;“真个村名” 和 “正村名” 都是因为不懂 “正名” 的含义而做的改动,这种改动于文义和文法均显得扞格不通,是一种误改。
”
この解説からすると<虛合>は曹雪芹の造語と言える。意味するところは<虛(仮)でも其の意に合っている>ということだろう。
終わりの方
一面說話,一面都在廊下榻上坐了。賈政因道:「想幾個什麼新鮮字來題?」一客道:「『蕉鶴』二字妙。」又一個道:「『崇光泛彩』方妙。」賈政與眾人都道:「好個『崇光泛彩』!」寶玉也道:「妙。」又說:「只是可惜了!」眾人問:「如何可惜?」寶玉道:「此處蕉棠兩植,其意暗蓄『紅綠」二字在內,若說一樣,遺漏一樣,便不足取。」賈政道:「依你如何?」寶玉道:「依我題『紅香綠玉』四字,方兩全其美。」賈政搖頭道:「不好,不好!」說著,引人進入房內。只見其中收拾的與別處不同,竟分不出間隔來。原來四面皆是雕空玲瓏木板,或流雲百蝠,或歲寒三友,或山水人物,或翎毛花卉,或集錦,或博古,或萬福萬壽,各種花樣,皆是名手雕鏤,五彩銷金嵌玉的。一隔一隔,或貯書,或設鼎,或安置筆硯,或供設瓶花,或安放盆景。其隔式樣,或圓,或方,或葵花蕉葉,或連環半璧。真是花團錦簇,剔透玲瓏!倏爾五色紗糊,竟係小窗;倏爾彩綾輕覆,竟如幽戶。且滿牆皆是隨依古董玩器之形摳成的槽子,如琴、劍、懸瓶之類,俱懸於壁,卻都是與壁相平的。眾人都讚:「好精緻!難為怎麼做的!」
18. 皇恩重元妃省父母 天倫樂寶玉呈才藻
第十八回
元妃乃命筆硯伺候,親拂羅箋,擇其喜者賜名。因題其園之總名曰:「大觀園」,正殿匾額云:「顧恩思義」,對聯云:「天地啟宏慈,赤子蒼生同感戴;古今垂曠典,九州萬國被恩榮。」又改題:「有鳳來儀」,賜名瀟湘館。「紅香綠玉」,改作「怡紅快綠」,賜名怡紅院。「蘅芷清芬」,賜名「蘅蕪院」。「杏帘在望」,賜名澣葛山莊。正樓曰大觀樓。東面飛樓曰「綴錦閣」。西面飛樓曰含芳閣。更有蓼風軒、藕香榭、紫菱洲、荇葉渚等名。匾額有「梨花春雨」、「桐剪秋風」、「荻蘆夜雪」等名。又命舊有匾聯不可摘去。於是先題一絕句云:
绝配は
绝配: 1、事物的绝佳配置;2、形容非常般配的恋爱对象或者夫妇。
绛芸轩指宝黛,还有另一层含义。贾芸和小红也是另一个宝黛。其中小红本名林红玉,按说更适合绛珠仙草转世后的名字,偏偏却叫成林黛玉。二人组成一对红与绿的对照。
贾宝玉的“儿子”名贾芸,乃草木人。与他怡红公子,又组成一对“红与绿”。
小红与贾芸日后修成正果,代表宝黛姻缘的另一个结果,恰是一段两全其妙的“红香绿玉”好姻缘。
贾宝玉与林黛玉虽说未能有情人终成眷属,但由贾芸、小红演绎出另一种结果,也是一个圆满。
贾芸与小红生情,完全借由《西厢记》中故事而来。 坠儿替二人手帕传情,也与晴雯送手帕一样。贾宝玉、林黛玉想做不能做的事,被曹雪芹借由贾芸和小红都做了一遍。他们二人远比宝黛更自由,更能掌握自己命运,是为宝黛人生的另一个方向。也是“绛芸”二字的另一层深意。
贾家抄家后,贾宝玉深陷狱神庙,彼时林黛玉已经远嫁死去。贾芸与小红深情厚谊,会有狱神庙探望 凤姐、宝玉之后文。
【靖批:“醉金刚”一回文字,伏芸哥仗义探庵。余三十年来得遇金刚之样人不少,不及金刚者亦不少。惜不便一一注明耳。壬午孟夏。】【甲戌眉批:“狱神庙”红玉、茜雪一大回文字惜迷失无稿。[庚眉批多八字:叹叹!丁亥夏。畸笏叟。]】【庚辰眉批:此系未见“抄没”、“狱神庙”诸事,故有是批。丁亥夏。畸笏。】【甲戌:凤姐用小红,可知晴雯等埋没其人久矣,无怪有私心私情。且红玉后有宝玉大得力处,此于千里外伏线也。】
脂批对小红贾芸在八十回有诸多批语。证明贾家抄家后狱神庙内,贾芸、小红冒着天大干系,仍旧勇敢探望谋逆罪臣贾家的亲人,真仗义!
贾宝玉彼时见此一对良缘,再想到“绛芸”二字,遂而再思及林黛玉,怎不万箭穿心、痛彻心扉?
作者
陈想书语
茜雪原与袭人、晴雯、秋纹等人一样,是宝玉身边的丫鬟,不过在一次“李嬷嬷吃了宝玉的枫露茶”事件后就被撵走了。
这似乎有点小题大做,对一向体恤身边女孩儿的宝玉来说未免反应过度吧?不过,我们好像没有从任何一处,可以看到宝玉对撵了茜雪有过后悔或者怀念;事实上,她被撵也是我通过鸳鸯等人的提及才知道的,她就这样悄无声息地走了。
那么,这里我们就来还原一下当时场景,找找宝玉坚决撵茜雪的原因。
那天宝玉是与黛玉不约而同去探视有恙的宝钗,然后薛姨妈留饭,他们一起吃了饭才回的。宝玉高兴,还吃了不少酒,应该说吃得蛮开心的。照理回到绛红轩来,也不会因茶生气才对,但事实却是这气生大了。
为什么会这样?这就要提到宝玉和黛玉在宝钗那边吃饭时的一个不那么愉快的插曲了:李嬷嬷三番五次不让他吃酒。
你看,李嬷嬷首先是直接不让宝玉吃酒,用的理由是他若吃酒,她会挨骂,以前有过一次,害得她挨了两天的骂。这显然是夸大其词,最多也就是贾母等念叨过两回。
宝玉也当然不肯听,也不相信,但她是奶妈,那是不好反驳的,只有求她别拦着,后来在黛玉和薛姨妈的帮衬下也总算让宝玉吃了。
然后眼看宝玉“心甜意洽”,酒喝得停不下来,李嬷嬷少不得又要来劝阻,并且在宝玉不听劝时,把他父亲贾政给搬出来了,说要他小心考他;宝玉对父亲那是畏之如虎,且最怕考学,所以一听之下:
便心中大不自在,慢慢地放下酒,垂了头。
头是垂下了,酒也不吃了,但是内心是升起了火了。但她是奶妈,他还是没办法!
也仍是靠着黛玉出言相帮,用不让宝玉吃酒就是瞧不起薛姨妈来镇住了李嬷嬷,于是宝玉又吃上了酒。
这酒是喝开心了,但是对李嬷嬷的不满却积在心里了。
在此,也真让人感叹“可怜天下父母心”,李嬷嬷虽只是奶妈,对宝玉却实在真诚关心,但是十多岁的孩子,也确实不太理解。
大家想想现在就明白了。
正是在这种已有一定情绪积累的情况下,宝玉回去后,却又碰上李嬷嬷的事。这回喝高了的宝玉可就压不住脾气了。
我们来看他回后的表现:
贾母问“李奶子怎么不见”时,宝玉踉跄回头道:
“她比老太太还受用呢,问她作什么!没有她只怕我还多活两日。”
——走路不稳了,说话也没遮拦了。
早上写了“绛红轩”三字要晴雯贴门斗上的,这时反问晴雯他写的字在哪里了。——这是醉后记忆断片了。
黛玉关心他醉,来看他,说了几句话走了,宝玉还还让“林妹妹吃茶”——真的是醉态可掬了。
正是在这种几乎失去理性控制力的状态下,宝玉连续听到了两件有关李嬷嬷“侵犯”自己权利的事:
一件是宝玉在东府吃早饭时,“有一碟子豆腐皮的包子”,想着晴雯爱吃的,特意以自己“留着晚上吃”为由让尤氏差人送过来,结果晴雯说,她还没来得及吃,却被李嬷嬷看见了,拿回去给她孙子吃去了。
第二件是,早上沏了一碗枫露茶的,宝玉醉酒断片一时忘了,吃了茜雪新沏的半碗突然想起来了,结果茜雪说:
“我原是留着的,那会子李奶奶来了,她要尝尝,就给她吃了。”
宝玉因吃酒之事本已对李嬷嬷不满,这第一件事已经激起了更多的反感,只不过这豆腐皮包子是想留给晴雯吃的,而既然晴雯也没表现出多少不开心之意,他也就放过了;但第二件事却让他怒不可遏了:
这枫露茶是很讲究的,并且是他沏了自己要吃的,结果却让李嬷嬷给吃了,况且,听茜雪的口气,倒似给李嬷嬷吃了也是理所当然的。
一碗枫露茶本身也许算不上什么问题,但“理所当然”很成问题。因为这里已有立场倾向的问题了:
晴雯对本属于她的豆腐皮包子被李嬷嬷拿走了没表示不满,那是她大度;茜雪对本属于宝玉的枫露茶被李嬷嬷吃了没表示不满,甚而表示没什么大不了,那可就不是大度,而是“慷他人之慨”了。
若在平时,恐怕也是吃了就吃了,再沏就是;但此时宝玉却是吃饱了酒,人都道“酒后乱性”,这话未必对,但是酒多了自控能力减弱那是确实的。
所以宝玉一听茜雪把自己要吃的茶给李嬷嬷吃了还一副没什么大不了的口气,反应特别激烈:
宝玉听了,将手中的茶杯只顺手往地下一掷,豁啷一声,打个齑粉,泼了茜雪一裙子的茶。又跳起来问着茜雪道:“她是你那一门子的奶奶,你们这么孝敬她?不过是仗着我小时候吃过她几日奶罢了。如今逞的她比祖宗还大了。如今我又吃不着奶了,白白地养着祖宗作什么!撵了出去,大家干净!”说着立刻便要去回贾母,撵他乳母。
这个表现,大概为宝玉生平所仅见,你看他掷茶杯、暴跳如雷、斥骂茜雪(李嬷嬷)、立刻要找贾母撵李嬷嬷……一气呵成,倒不像是个吃醉了酒的人,其实却又是吃醉了酒才会如此失控。
宝玉把今晚从李嬷嬷在薛家阻止他吃酒,到现在听到李嬷嬷吃了他的茶积累起来的嫌恶情绪发泄出来了。或许,宝玉还回忆起了李嬷嬷此前种种令他不快(比如不让他到外面畅快地玩)的情形。
当然,李嬷嬷可不是那么好撵的,贾府可是很尊重年长仆人的;况且,毕竟是李嬷嬷奶大了宝玉,而她对宝玉,那是真的很有感情的。如果指出她的缺点,大概一是贪小,二是嘴多。前者固然不讨喜,后者却是长辈们喜闻乐见的——公子哥就得有人多管着点不是?
那么如果要撵一个人,就只有撵茜雪了。
其实这枫露茶之事也非什么大事,只是作为宝玉情绪的一个“触发点”而显得有点“严重”,也不至于严重到要开除责任人。
所以很可能是宝玉这一发飚还是传到了贾母的耳朵里,老人家实在宠爱得太过,生怕他身心受影响,加上宝玉房里不缺人,而茜雪又不是如袭人、晴雯那样或特别忠诚或特别漂亮或针线特别好之类各有所长不可或缺的人,走掉一两个不成问题,要补也容易,于是就把她撵走了。
从茜雪被撵这事,我觉得可以得到两点启示:
一是下人的命运掌握在主子手里,也即员工的命运掌握在领导手里,要立稳脚跟,必须站对位置;
二是必须有“区别度”较强的立身之本,有不能轻易被替代的利用价值。
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李嬷嬷出场次数不多,但真是惹人厌。
宝玉平日在姐妹周围,贾政看不见他,王夫人也不能时刻照看。于是,李嬷嬷便充当了家长的“眼睛”,时刻规矩着宝玉。
第八回,薛姨妈请吃饭,特意灌了上等美酒,宝玉央求了喝一杯,结果李嬷嬷怎么说的?
李嬷嬷道:“不中用!当着老太太、太太,那怕你吃一坛呢。想那日我眼错不见一会,不知是那一个没调教的,只图讨你的好儿,不管别人死活,给了你一口酒吃,葬送的我挨了两日骂。姨太太不知道,他性子又可恶,吃了酒更弄性。有一日老太太高兴了,又尽着他吃,什么日子又不许他吃,何苦我白赔在里面。”
薛姨妈笑道:“老货,你只放心吃你的去。我也不许他吃多了。便是老太太问,有我呢。
大家吃了尽兴,三杯过去,宝玉正是“心甜意洽”之时,李嬷嬷又发话了“你可仔细老爷今儿在家,提防问你的书。”
烦不烦?人家玩的正酣,她总要在耳边叮嘱几句,其实她也知道没有效果,宝玉玩闹起来她也拦不住,但为什么还要“表现”出来呢。一是,摆脱责任,在宝玉身边的丫鬟们年纪轻,出了问题,恐怕王夫人得先问责这位老妈妈,连带着照顾宝玉不周以及没有做好榜样,一并骂一顿。
二是,彰显一下自己的地位。毕竟自己是奶妈,说几句狠话,宝玉也能吃的住,不敢在外人面前驳了她的面子,李嬷嬷在薛姨妈、丫鬟们面前给自己长长脸。
说着黛玉看不过去,给 宝玉解围“别扫大家的兴!”“你这妈妈太小心了,往常老太太又给他酒吃,如今在姨妈这里多吃一口,料也不妨事。”
如此看,平日里宝玉身边不仅有袭人劝学,还有李嬷嬷这样的嬷嬷叮嘱着学习,还管束着言行。黛玉来之前,宝玉总是沉浸在各种劝学的声音里,更加深了宝玉对科考仕途的反感。
《红楼梦》里多处体现作者对儒家学派的反感,比如贾雨村的仕途之路与甄士隐跟随“一僧一道”归隐的对比,甄士隐在道家与佛家的影响下顿悟人生,贾雨村迷恋加官进爵、步步为营。
在宝玉的眼里,李嬷嬷倚老卖老的状态正是受到儒家思想影响的结果,三不五时“劝学”几句,用“奶妈”身份拿捏贾府,这样的大户人家,决不能苛责奶妈,做出“忘恩负义”的行为。
李嬷嬷算是踢到宝玉这块铁板了,借着醉意,宝玉吐槽道“他比老太太还受用呢,问他作什么!没有他只怕我还多活两日。”
《红楼梦》的精彩就在于,不经意地从“贪嘴”“占便宜”的小事描绘起立体的李嬷嬷。
李嬷嬷这张嘴,不是一般“馋”。宝玉心心念的一碗枫露茶,“那茶是三四次后才出色”,叮嘱着让茜雪留着,谁曾想让李嬷嬷尝了去。宝玉特意留给晴雯的豆腐皮包子,也被李嬷嬷拿走了。这家伙给宝玉气得,借着酒劲儿,心里的不满,全说出来:
“他是你那一门子的奶奶,你们这么孝敬他?不过是仗着我小时候吃过他几日奶罢了。如今逞的他比祖宗还大了。如今我又吃不着奶了,白白的养着祖宗作什么!撵了出去,大家干净!”
其实,李嬷嬷是知道宝玉的底线的,但就是管不住这个嘴,加上总爱在丫鬟面前“拿”一把。第八回,李嬷嬷听说宝玉醉了,也是不敢向前冒犯,悄悄打听睡了,方散心睡去。看见宝玉醉了,老天太也没有过多责备,可见李嬷嬷在薛姨妈家的“劝诫”,还是带着一点“表演”成分。
紧接着,李嬷嬷又在酥酪上贪嘴,得亏是袭人临时找了个话题,要不然宝玉又要在屋里发作一番。李嬷嬷排揎宝玉屋里的人,是个老习惯,有事没事就得牢骚几句。
赶上袭人不舒服,躺在床上没看见李嬷嬷,老奶奶发疯又是一顿牢骚,这时候凤姐恰好赶到,有趣的是,这次也是用“吃”的把李嬷嬷哄走了。凤姐劝着,“我家里烧的滚热的野鸡,快来跟我吃酒去。”
李嬷嬷这个爱吃的人设,可算是立住了。
李嬷嬷一个并没有出现过几次的小人物,却在《红楼梦》中拥有如此立体的形象,给读者留下很多遐想的空间。
李嬷嬷就像单位里马上要退休了,消磨时光找存在感的那类人,虽然知道几分规矩,但却忍不住卖弄辈份,而且还总是借着年纪大、功劳多,做出点“出格儿”的事,挑战一下“东家”的修养。东家要是生气了呢,那就是过河拆桥、忘恩负义,东家睁一只眼闭只眼呢,那他就继续随心所欲。
要说奶妈,在古代,尤其大户人家甚至皇室,几乎都占据着非同一般的地位。
比如,明熹宗朱由校对奶妈客印月的“纵容”;康熙奶妈正是曹雪芹的曾祖母孙氏,孙氏的儿子曹寅自小与康熙一同长大,曹家长期享受盛宠与康熙对孙氏的报答脱不开关系;溥仪曾在《我的前半生》里表达对自己奶妈的依赖与感恩,书中写道“二两月银,把一个人变成了一头奶牛”,为了让奶妈好好喂养溥仪,宫里封锁了奶妈亲生女儿去世的消息,溥仪的奶妈身世非常凄惨。
恰恰是在这样的封建框架下,奶妈的命运有“兴风作浪”的,有“跌宕起伏”的,也有“身不由己”的。这些人物都裹挟在历史的巨轮下,经历不同的人生命运。
《红楼梦》的李嬷嬷虽然仅仅是个再渺小不过的角色,但她的行动做派却都映射出时代下的小人物缩影。她的贪婪攀附、察言观色、兴风拿大,是腐朽的宁荣二府酝酿、发酵而来。
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贾宝玉房中八个丫头每人司职不同,袭人照顾日常,茜雪伺候饮食,晴雯是笔墨,麝月是服饰梳妆,秋纹碧痕等洗涑。茜雪在贾宝玉八个丫头中,原本只排在袭人之后。
关于茜雪,原文笔墨不多,君笺雅侃红楼认为她就是贾宝玉梦游太虚幻境时,陪在身边的四大丫头之一的媚人。因贾宝玉梦中经历一番风花雪月后,认为媚人之名与花袭人、(风)晴雯、麝月名字不相配,进而改名为茜雪。
茜雪,茜为红,后面的茜香罗汗巾、“茜纱窗下”都代表了“红”。茜字通“红”,与贾宝玉“怡红公子”“绛洞花王”相通。雪,为风花雪月之雪,也通“薛”。《红楼梦》中那么多丫头,仅有茜雪名字中有“雪”字,证明此名与贾宝玉和薛宝钗相关,影射金玉良姻。
茜雪什么时候被撵走?“比通灵金莺微露意”,贾宝玉与薛宝钗互相看了对方的“金和玉”。有了莺儿“一对儿”的说法后。贾宝玉因在薛姨妈那里喝多了酒,当晚扬言要撵走李嬷嬷,随后茜雪就被撵走了。
茜雪名字通金玉良姻,她被撵走,可以肯定是贾母的意思。贾母不满意李嬷嬷对贾宝玉服务不周到,不好对奶娘发难,就让茜雪做了替罪羊,借以敲打李嬷嬷。但曹雪芹让贾母撵走茜雪的另一层意思,影射贾母反对金玉良姻的绝心。,以及要撵走薛家的决心。
贾宝玉在薛家喝醉了,回来大骂奶妈,还扬言撵走她,是失礼、失德的行为。好在年纪小,否则传出去就是笑话。
贾母因此撵走一个大丫头,表面看是警告李嬷嬷,何尝不是打脸薛姨妈?
此事传到薛姨妈那里,她会怎么想?当然是没意思!人家孩子小小年纪,给喝那么多酒。喝多了闯祸大骂奶妈,还要撵走奶妈,难道灌酒的薛姨妈没责任?好好的孙子都被你教坏了,薛家就是这么做客的?
贾母明着撵茜雪,对李嬷嬷敲打,实则还是“杀鸡给猴看”。就是告诉薛姨妈,她对这件事不满意。诚然林黛玉也纵容贾宝玉喝酒,但不影响贾母不满薛姨妈给贾宝玉喝醉引出来的那些事。
薛姨妈一来就和王夫人宣扬金玉良姻,贾母早有耳闻。贾宝玉和薛宝钗互看金和玉,贾母未必知道。但从莺儿跑过来和贾宝玉说什么金玉上的话是一对看,薛家人是全部上阵卖力宣传,贾母对薛姨妈一系列失礼的事早都忍无可忍。借贾宝玉喝醉撵走茜雪,越小题大做,越让薛家知道她对薛家的不满。
茜雪的名字,带有金玉良姻之意,曹雪芹有意写茜雪被撵走,就是暗示贾母开始要撵薛家人了。
第二十回李嬷嬷再闹贾宝玉房中,说茜雪因她被撵后,李嬷嬷很快就离开贾宝玉房中,并没再跟去怡红院。
第二十二回,薛宝钗十五岁生日。贾母大张旗鼓替她张罗,言外之意就是告诉薛姨妈,你薛家姑娘到了年纪,该找婆家了,该从我们家搬走了!
有人会说,是不是过度解读了?贾母给个晚辈过生日,哪有那么多说道!其实,薛宝钗早明白贾母的心思,甚至也明白茜雪被撵的背后意思。她给贾母点了一出《鲁智深醉闹五台山》,就是对贾母撵人的回应。
熟读《水浒传》的人,都知道《鲁智深醉闹五台山》,是讲鲁智深在五台山文殊院落发为僧,因不守规矩被文殊院僧人厌弃,想尽办法撵他走,他喝醉酒后醉闹山门的故事。
贾母借过生日撵人如五台山僧人,薛宝钗自比鲁智深。她说的那首《点绛唇》,正是她的心情:
“漫揾英雄泪,相离处士家。谢慈悲剃度在莲台下。没缘法转眼分离乍。赤条条来去无牵挂。那里讨烟蓑雨笠卷单行?一任俺芒鞋破钵随缘化!”
贾母撵薛家之心,早已经借撵茜雪体现出来。聪明如薛宝钗不可能不懂贾母心思。薛姨妈对此视如不见,薛宝钗见老太太一计不成又生第二计。无奈之下才借《鲁智深醉闹山门》挑破贾母心思。可以说,贾母围绕茜雪的言外之意,被薛宝钗接收到了。茜雪所代表的意思薛宝钗身在局中不可能明晰,但她回应贾母的方式,依旧给了读者答案。
茜雪名字中有红代表贾宝玉,有雪代表薛宝钗,预示金玉良姻。贾母撵茜雪代表反对金玉良姻,薛宝钗不走,是对金玉良姻的坚持。
贾家抄家后,贾宝玉与薛宝钗困在狱神庙,茜雪会再次出现。据畸笏叟透露,那才是茜雪正文。
[庚辰眉批:茜雪至“狱神庙”方呈正文。袭人正文标目曰“花袭人有始有终”,余只见有一次誊清时,与“狱神庙慰宝玉”等五六稿,被借阅者迷失,叹叹!丁亥夏。畸笏叟。]
茜雪本叫媚人,与袭人相对。狱神庙一回又与袭人同出,袭人有赡养宝玉宝钗夫妻之恩,茜雪有狱神庙探望宝玉宝钗夫妻之义。袭人本叫珍珠,名字含金玉之意,茜雪名字同样如此。可见一切都是曹雪芹设计好的,您说是不是?
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絳芸軒、第八回の話が長くなってしまったが、<識分定情悟梨香院>の梨香院については、<梨香院>が最初に出て来るのは第四回《薄命女偏逢薄命郎 葫蘆僧判斷葫蘆案》の最後のところ。
薛蟠拜見過賈政賈璉,又引著見了賈赦賈珍等。賈政便使人進來對王夫人說:「姨太太已有了年紀,外甥年輕不知庶務,在外住著,恐怕又要生事。偺們東南角上梨香院那一所十來間房,白空閒著,叫人請了姨太太和姐兒哥兒住了甚好。」王夫人原要留住。賈母也就遣人來說:「請姨太太就在這裡住下,大家親密些。」薛姨媽正欲同居一處,方可拘緊些兒子;若另住在外邊,又恐縱性惹禍。遂忙應允,又私與王夫人說明:「一應日費供給一概都免,方是處常之法。」王夫人知他家不難於此,遂亦從其自便。從此後,薛家母女就在梨香院住了。
原來這梨香院乃當日榮公暮年養靜之所,小小巧巧,約有十餘間房舍,前廳後舍俱全。另有一門通街,薛蟠的家人就走此門出入。西南有一角門,通一夾道,出了夾道便是王夫人正房的東院了。每日或飯後,或晚間,薛姨媽便過來,或與賈母閒談,或與王夫人相敘。寶釵日與黛玉迎春姊妹等一處,或看書下棋,或做針黹,倒也十分相安。
薛蟠というのは薛寶釵の兄。故あって薛蟠、薛寶釵と母(薛姨媽、姨太太)が梨香院に移り住むことになった。この前に薛寶釵の紹介がある。
”
還有一女比薛蟠小兩歲,乳名寶釵,生得肌骨瑩潤,舉止嫻雅。當時他父親在日,極愛此女,令其讀書識字,較之乃兄竟高十倍。自父親死後,見哥哥不能安慰母心,他便不以書字為念,只留心針黹家計等事,好為母親分憂代勞。
“
つまりは美人で才女なのだが、このあと
”
近因今上崇尚詩禮,徵採才能,降不世之隆恩,除聘選妃嬪外,在世宦名家之女,皆得親名達部,以備選擇為公主郡主入學陪侍,充為才人贊善之職。
”
というくだりがあり、上で取りあげた皇帝妃となった元春がこの例になるので、伏線といえる。
薛蟠は素行の良くない兄で、兄の言動、性格も書かれている。だがこれは第四回の話なのでここでは省略。
さて第三十六回だが、
冒頭
話說賈母自王夫人處回來,見寶玉一日好似一日,心中自是歡喜。因怕將來賈政又叫他,遂命人將賈政的親隨小廝頭兒喚來,吩咐:「以後倘有會人待客諸樣的事,你老爺要叫寶玉,你不用上來傳話,就回他說,我說的:一則打重了,得著實將養幾個月纔走得;二則他的星宿不利,祭了星,不見外人,過了八月纔許出二門。」那小廝頭兒聽了,領命而去。賈母又命李嬤嬤襲人等來,將此話說與寶玉,使他放心。
那寶玉素日本就懶與士大夫諸男人接談,又最厭峨冠禮服賀弔往還等事;今日得了這句話,越發得意了,不但將親戚朋友一概杜絕了,而且連家庭中晨昏定省,一發都隨他的便了。日日只在園中遊玩坐臥,不過每日一清早到賈母王夫人處走走就回來了,卻每日甘心為諸丫頭充役,倒也得十分消閒日月。或如寶釵輩有時見機勸導,反生起氣來,只說:「好好的一個清淨潔白女子,也學的釣名沽譽,入了國賊祿鬼之流!這總是前人無故生事,立意造言,原為引導後世的鬚眉濁物;不想我生不幸,亦且瓊閨繡閣中亦染此風,真真有負天地鍾靈毓秀之德了!」眾人見他如此,也都不向他說正經話了。獨有黛玉自幼兒不曾勸他去立身揚名,所以深敬黛玉。
閒言少述。如今且說鳳姐自見金釧兒死後,忽見幾家僕人常來孝敬他些東西,又不時的來請安奉承,自己倒生了疑惑,不知何意。這日,又見人來孝敬他東西,因晚間無人時,笑問平兒。平兒冷笑道:「奶奶連這個都想不起來了?我猜他們的女孩兒都必是太太屋裡的丫頭。如今太太屋裡有四個大的,一個月一兩銀子的分例,下剩的都是一個月只幾百錢。如今金釧兒死了,必定他們要弄這一兩銀子的窩兒呢。」鳳姐聽了,笑道:「是了,是了,倒是你想的不錯。只是這起人也太不知足。錢也賺夠了,苦事情又攤不著,他們弄個丫頭搪塞身子兒也就罷了,又要想這個巧宗兒。他們幾家的錢也不是容易花到我跟前的,這可是他們自尋,送什麼我就收什麼,橫豎我有主意。」鳳姐兒安下這個心,所以只管耽延著,等那些人把東西送足了,然後乘空方回王夫人。
鳳姐答應著,回頭望著玉釧兒笑道:「大喜,大喜!」玉釧兒過來磕了頭。王夫人又問道:「正要問你:如今趙姨娘周姨娘的月例多少?」鳳姐道:「那是定例,每人二兩。趙姨娘有環兄弟的二兩,共是四兩,另外四串錢。」王夫人道:「月月可都按數給他們?」鳳姐見問得奇,忙道:「怎麼不按數給呢?」王夫人道:「前兒恍惚聽見有人抱怨,說短了一串錢,什麼原故?」鳳姐忙笑道:「姨娘們的丫頭月例,原是人各一串錢;從舊年他們外頭商量的,姨娘們每位丫頭,分例減半,人各五百錢。每位兩個丫頭,所以短了一串錢。這事其實不在我手裡,我倒樂得給他們呢,只是外頭扣著。這裡我不過是接手兒,怎麼來,怎麼去,由不得我做主。我倒說了兩三回,仍舊添上這兩分兒為是;他們說了只有這個數兒,叫我也難再說了。如今我手裡給他們,每月連日子都不錯。先時候兒在外頭關,那個月不打饑荒?何曾順順溜溜的得過一遭兒呢?」
王夫人聽說,就停了半晌,又問:「老太太屋裡幾個一兩的?」鳳姐道:「八個。如今只有七個。那一個是襲人。」王夫人道:「這就是了。你寶兄弟也並沒有一兩的丫頭,襲人還算老太太房裡的人。」鳳姐笑道:「襲人還是老太太的人,不過給了寶兄弟使,他這一兩銀子還在老太太的丫頭分例上領。如今說,因為襲人是寶玉的人,裁了這一兩銀子,斷乎使不得。若說再添一個人給老太太,這個還可以裁他。若不裁他,須得環兄弟屋裡也添上一個,纔公道均勻了。就是睛雯麝月他們七個大丫頭,每月人各月錢一吊,佳蕙他們八個小丫頭們,每月人各月錢五百,還是老太太的話,別人也惱不得氣不得呀。」
薛姨媽笑道:「你們只聽鳳丫頭的嘴,倒像倒了核桃車子是的!帳也清楚,理也公道。」鳳姐笑道:「姑媽,難道我說錯了嗎?」薛姨媽笑道:「說的何嘗錯?只是你慢著些兒說,不省力些?」
鳳姐纔要笑,忙又忍住了,聽王夫人示下。王夫人想了半日,向鳳姐道:「明兒挑一個丫頭送給老太太使喚,補襲人,把襲人的一分裁了。把我每月的月例二十兩銀子裡,拿出二兩銀子一吊錢來給襲人去。以後凡事有趙姨娘周姨娘的,也有襲人的,只是襲人的這一分都從我的分例上勻出來,不必動官中的就是了。」
鳳姐一一的答應了,笑推薛姨媽道:「姑媽聽見了?我素日說的話如何?今兒果然應了。」薛姨媽道:「早就該這麼著。那孩子模樣兒不用說,只是他那行事兒的大方,見人說話兒的和氣裡頭帶著剛硬要強,倒實在難得的。」王夫人含淚說道:「你們那裡知道襲人那孩子的好處?比我的寶玉還強十倍呢!寶玉果然有造化,能夠得他長長遠遠的伏侍一輩子,也就罷了!」鳳姐道:「既這麼樣,就開了臉,明放他在屋裡不好?」王夫人道:「這不好。一則年輕;二則老爺也不許;三則寶玉見襲人是他的丫頭,縱有放縱的事,倒能聽他的勸,如今做了跟前人,那襲人該勸的也不敢十分勸了。如今且渾著,等再過二三年再說。」
說畢,鳳姐見無話,便轉身出來。剛至廊簷下,只見有幾個執事的媳婦子正等他回事呢。見他出來,都笑道:「奶奶今兒回什麼事,說了這半天?可別熱著罷。」鳳姐把袖子挽了幾挽,跐著那角門的門檻子,笑道:「這裡過堂風倒涼快,吹一吹再走。」又告訴眾人道:「你們說我回了這半日的話,太太把二百年的事都想起來問我,難道我不說罷?」又冷笑道:「我從今以後,倒要幹幾件刻薄事了。抱怨給太太聽,我也不怕!糊塗油蒙了心,爛了舌頭,不得好死的下作娼婦們,別做娘的春夢了!明兒一裹腦子扣的日子還有呢。如今裁了丫頭的錢,就抱怨了偺們。也不想想,自己也配使三個丫頭?」一面罵著,一面方走了,自去挑人,回賈母話去。不在話下。
贾宝玉喝多了酒与林黛玉从薛姨妈处回来后发生了个小插曲。他一回来就被晴雯抓住,揭露他早上像模像样的要写字,结果磨了一堆墨却只写了三个就跑出去溜达一天,喝醉酒回来是再不能写了。这段情节看似过场,实则宝玉所写“绛芸轩”三个字是《红楼梦》大关键,不怪周汝昌先生说“雪芹先生笔法总是开头即点睛直贯全身,但粗心人难悟耳”。
(第八回)晴雯先接出来,笑说道:“好,好,要我研了那些墨,早起高兴,只写了三个字,丢下笔就走了,哄的我们等了一日。快来与我写完这些墨才罢!”宝玉忽然想起早起的事来,因笑道:“我写的那三个字在那里呢……一时黛玉来了,宝玉笑道:“好妹妹,你别撒谎,你看这三个字那一个好?”黛玉仰头看里间门斗上,新贴了三个字,写着“绛芸轩”。黛玉笑道:“个个都好。怎么写的这们好了?明儿也与我写一个匾。”宝玉嘻嘻的笑道:“又哄我呢。”
[一]
绛芸轩从林黛玉口中说出来,这是第一个要点。
晴雯不识字,贾宝玉也没说,偏偏等林黛玉说,是曹雪芹一贯的隐笔。所谓“绛芸轩”,重点在“绛”字和“芸”字。
绛为红,林黛玉的绛珠仙草为“绛”,贾宝玉的绛洞花王也是“绛”。芸者非单指云,草为草木人,云为晴雯暗指。雯是好看的云纹。晴雯磨墨得“绛芸轩”三字,晴雯张贴上去……晴为黛影,最终又指向林黛玉。
绛芸轩是怡红院的前身,是贾宝玉自己称心如意的命名。搬到大观园后,绛芸轩遗留在贾母院中,成为往事追忆。
怡红院是贾元春强行修改贾宝玉认为“两全其妙”的“红香绿玉”为“怡红快绿”后,再赐的名。代表贾元春的喜欢,贾宝玉喜欢不喜欢都要接受。
贾元春修改“红香绿玉”为“怡红快绿”,去掉的香玉、绿玉,都是影射林黛玉,暗示宝黛姻缘被贾元春强行拆散。从“绛芸轩”到“怡红院”,影射无论贾宝玉怎么想,都不能与贵妃姐姐“争驰”(薛宝钗语)。
[二]
绛芸轩暗伏“千红一窟,万艳同杯”。
贾宝玉那段时间冲击最大的是“梦游太虚幻境”。醒来后将陪伴他梦游太虚幻境的四个丫头,按照名字排成“风花雪月”,将媚人改为茜雪。“茜”也是红,茜雪被撵走的关键“枫露茶”还是红。贾宝玉与“红”牵绊,可见一二。
“红”是绛珠仙草和赤瑕宫神瑛侍者共有的由来。宝黛姻缘与金玉良姻再怎么冲突,本质上还是绛珠仙草与神瑛侍者的宿缘。
贾宝玉梦游太虚幻境,“千红一窟”茶,“万艳同杯”酒,其“窟”“杯”都是一处困守,“轩”也是。绛芸轩只为与太虚幻境情节前后呼应。
“木石前缘”的说法,就此由“绛芸轩”三字点题。若问宝黛爱情从什么时候开始,“绛芸轩”就是答案。而绛芸二字的深意,当时的林黛玉不懂,但宝黛爱情成形后,细思当年情景,也只有林黛玉懂得,只是已经过去很久。
[三]
绛芸轩伏笔小红与贾芸。
曹雪芹太善于“草蛇灰线伏延千里”。“绛芸”二字的名字,刨除宝黛前世牵绊,直接涵盖林红玉和贾芸之名。
林红玉又名“小红”,伏“绛”字。林红玉与林黛玉名字只差一字,红又是绛珠仙草的隐喻,可见林红玉对林黛玉之关键。
小红对自由的追求和渴望,对人生的规划,是林黛玉潜意识中挣脱束缚渴望。她在《葬花吟》中说:“愿奴胁下生双翼,随花飞到天尽头”。
小红第一个说“千里搭长棚,没有不散的筵席”,林黛玉又是出了名的喜散不喜聚。二者有太多共同点。
曹雪芹在用小红塑造林黛玉的另一种人生。林黛玉虽然死了,但她梦想着能够与贾宝玉有机会实现,小红与贾芸那样挣脱束缚的简单人生。
贾芸的名字伏“芸”字,本是“草木”。贾芸与贾宝玉又有父子一说。二人关系比之贾家其他子弟都近。贾芸为了自己的人生有规划,有行动,对应的恰是贾宝玉的一事无成,最后连林黛玉都失去。
如果贾宝玉能像贾芸一般自立自强,未尝不能与林黛玉还有一线机会。曹雪芹借绛芸轩伏线小红与贾芸,是在影射宝黛姻缘可能会有的另一种状态。
就像薛蟠暗恋林黛玉,也是影射贾宝玉若能像薛蟠一样独立,也会有另一种“木石姻缘”。
同样,贾蔷与龄官,袭人与蒋玉菡,尤三姐与柳湘莲……他们都是“木石姻缘”的另一种形态,但最好的还是小红与贾芸这一种结果。
“绛芸轩”背后所表露的深意,不外如是!
文|君笺雅侃红楼
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